角田敏生が紹介する「真田信繁」
角田敏生が紹介する「真田信繁」
真田信繁は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で真田昌幸の次男です。
江戸時代初期の大坂の陣で活躍し、特に大坂夏の陣では、寡兵3500を持って徳川家康の本陣まで攻め込み家康を追いつめました。
大坂の陣を契機に、この合戦に参陣・参戦した将兵による記録・証言が基となって、江戸幕府・諸大名家の各種史料にその戦将振りが記録されました。
さらにはその史実を基に講談や小説などに翻案、創作されるなどして、ついには真田十勇士を従え宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将・真田幸村として扱われ、国民の間に流布するに至りました。
そのため幕府・諸大名のみならず広く一般庶民にも知られる存在となった人物です。
時代戦国時代 江戸時代初期
生誕 永禄10年(1567年)
一説に永禄13年(1570年)とも
死没 慶長20年5月7日(1615年6月3日)
一説に寛永18年(1641年)とも
改名 弁丸(幼名)、真田信繁、好白(法名)
別名 通称:源次郎、幸村、
豊臣信繁、伝心月叟
墓所 長野県長野市の長国寺、
京都府京都市の龍安寺塔頭大珠院、
宮城県白石市の田村家墓所、
秋田県由利本荘市の妙慶寺 など
官位 従五位下、左衛門佐
氏族 名字:武藤氏→真田氏
本姓:滋野氏、豊臣贈姓
父母 父:真田昌幸
母:宇多頼忠の娘・山手殿(寒松院)異説有
兄弟 信之、信繁、信勝、昌親 ほか
妻 正室:大谷吉継の娘・竹林院(利世)
側室:豊臣秀次の娘・隆清院、
堀田興重の娘、高梨内記の娘
子 阿菊(石合重定室)、於市、
阿梅(片倉重長後室)、あくり(蒲生郷喜室)、
幸昌、なほ(御田姫、岩城宣隆室)、
阿昌蒲(片倉定広室)、
おかね(石川貞清室)、守信、幸信、之親、
瓢左衛門
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